パンのルーツ
パンはいつどこで生まれ、どのように現代に受け継がれてきたのか。簡単に紐解いて見てみましょう。
パンはいつ生まれたの?
約8000年前、古代メソポタミアで食べられていた、小麦粉を水で捏ねて焼いたもの。これがパンの原型だとされています。その後、小麦栽培と共にパン作りが古代エジプトに伝わり、何らかの偶然をきっかけに、発酵パンが誕生したといわれています。
約2500年前の古代ギリシャの時代には、特産のオリーブオイルを使ったパンや菓子なども作られるようになります。ブドウの産地としても有名なギリシャでは、ブドウ液をパン作りに使用したり、石臼で小麦を細かく挽いたり、さらには焼き釜なども登場し、パンは数千年をかけ、少しずつ進化していったようです。
中世ヨーロッパの戦乱の世が去り、ルネッサンス時代へ
古代ローマ時代にパンの大量生産が始まリましたが、15世紀半ばまでの約1000年の間、中世ヨーロッパでは戦乱の世が続き、新しい技術はあまり発達しなかったようです。それでも各国それぞれの特徴のあるパンが生まれてくるのもこの時代。
キリスト教では、「ワインはキリストの血、パンはキリストの肉」とされていますが、封建社会の中、パンを焼くことが許されていたのは、一部のパン屋と教会や修道院、貴族に限られていたようです。
庶民が家庭でパンを焼くことが許されたのは、イタリアから始まるルネッサンス時代。以降、パン作りは量産化され世界中に広まり、アメリカでは砂糖や油脂を使った現代と同じようなパンなども作られ始めました。
鉄砲と共に、日本へ
英語でパンはBread(ブレッド)。日本ではなぜパンと呼ばれるのでしょうか。
日本に西洋のパンが伝わったのは、1543年。日本史でお馴染みの年に種子島に漂着したポルトガル人によって、鉄砲と共にやってきました。日本でパンが「パン」と呼ばれているのは、ポルトガル語が語源だからなのです。
その後、1549年から宣教師たちによって広められたキリスト教とともに、パンは各地へと伝わっていきます。中でも、南蛮貿易で栄えた長崎界隈では、パン作りがとても盛んに行われたようです。
その後、江戸時代に幕府が踏み切った鎖国によって、外国との交易が禁止されます。その間、日本でパンが作られていたのは、唯一海外へと開かれていた長崎県出島のみ。そこに暮らすオランダ商人のためだけに焼かれていたそうです。
日本初のパン屋さんは、横浜にオープン
日本国内でパンに再びスポットライトが当たるのは江戸末期。戦争に備えるため、長崎からパン職人を呼び寄せてパンを焼かせました。日持ちのしないおにぎりの代わりにするため、今でいう乾パンのように硬いものだったそうです。結局戦争は免れたためその硬いパンは普及はしませんでした。
開国後に欧米諸国からやってきた外国人のために、居留地のある横浜に外国人経営の4店のパン屋ができました。これが国内最初のパン屋です。その後、長崎や函館の居留地でもパン作りが行われるようになり、日本人の間でよりパンの存在が知られるようになっていったのです。
学校給食からはじまる、主食としてのパンの普及
明治時代になり都市に外国人むけのホテルが増えていったことで、必然的にパンのニーズは高まりました。フランスから軍事支援を受けていた日本で焼かれていたのは主にフランスパンでしたが、明治政府がイギリスから支援を受けるようになると、主流はイギリスのパン(山食パン)に変わっていきます。同時にパン屋も台頭し、あんパンやクリームパンなどの菓子パンが作られるようになっていきます。
大正時代になると国産のイーストが開発され、イーストを使ったパン作りが始まります。そして昭和時代、第二次世界大戦後に学校給食でご飯に代わりパンが提供されるようになったことで、パンは日本人の主食のひとつとして定着していきました。
今では日本人の食卓に欠かせない「パン」は、長い長い歴史を経て私たちの豊かな食生活を支えているのですね。
EURO BAKERY TOKYOは、本場ヨーロッパのパンを冷凍でお届けしています。
香ばしい小麦の旨味がしっかり味わえるプレッツェルや、発酵バターのチャンクがたっぷり入ったバターインプレッツェル、食事パンの王道カイザーロールなど、人気のドイツパンのほか、定番のバタークロワッサンやデミバゲットなど、さまざまなパンをご用意しています。
クリスマスマーケットやオクトバーフェストなどの祭事や、宿泊施設でのご提供など、業務用にも各種小ロットから対応しています。